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新型コロナウイルス危機があらわにした日本人の「子ども嫌悪」

大人と子どもの家庭空間での共存ノウハウはまだまだ十分には蓄積されていない

■中産階級が生まれた近代だから子育ての苦労は生まれた

 育児の厄介な部分は外注し、自分は楽しい部分だけ味わうのは、大昔から貴族や富裕層がしてきた。学校制度が整備されていなかった近代以前は、子どもの養育は乳母や家庭教師に託した。近代以降は全寮制の学校に子どもを放り込んだ。

 下層民の場合は、子どもは産みっぱなしであり、子どものサバイバルは運任せであった。

 16世紀のブラバント公国(今のオランダ)の画家ピーテル・ブリューゲル(1525-69)が描いた村の庶民の暮らしに描かれる子どもたちは、「子ども服」を着ていない。大人の古着を身に着けている。上着の袖はブカブカで長い。裾は引きずっているほど長い。子どもは「小さな大人」であり、できる限り早く働いた。子どもと成人の間の過渡期である青年期はなかった。

「子ども」というのも歴史的概念であり、大人から保護され養育される大人の前段階の存在としての子ども概念は、まだ生まれてから400年ぐらいしか経っていない。

 ということを、フィリップ・アリエス(1914-84)が1972年に発表した『<子供>の誕生—アンシャン・レジーム期の子供と家族生活』(みすず書房、1980) において述べている。

 日本人にとっても、子どもという存在と真正面から関わる生活の歴史は、まだまだ新しい。上流階層の人間も、下級階層の人間も、子どもは産んだだけだった。あとのことは他人の労働に任せるか、運命に任せるかであった。

 中産階級が形成されて、初めて、親子は狭い居住空間の中で長く時間を共にするようになり、「子育ての苦労」というものが生まれた。親と子が、子どもが生まれてから延々と同居するのは歴史的に新しい事態だ。

 何を私は言いたいのか?つまり、大人と子どもの家庭という空間の中での長い共存のノウハウは、まだまだ十分には蓄積されていないということだ。だから、双方にとって、家族が煩わしく、家庭が居心地の悪い場になりがちなのも、当たり前なのだ。

 子育てなど面倒くさいに決まっている。ほんとうは、「子ども嫌い」なのが自然だ。儒教道徳の消えた現代において、子育ては割のあわないブラック稼業で、ご奉仕だ。だからといって、自分の子どもの養育労働のかなりを、無自覚に学校や教師に丸投げしていい理由にはならない。

 もうこの際、自分の「子ども嫌い」の本音をあっけらかんと認めつつ、子どもの養育労働のうち他人に外注できる部分と外注できない部分を見定め、外注できる部分を委託する人には適切な賃金を支払う。くれぐれも小学校を無料のデイケアセンター扱いしないように。

 そして、子どもの養育労働のうち、外注してはいけない部分については、逃げずに自分で迎え撃つしかない。

 家族も家庭も永遠ではない。解散する時期が必ず来る。その時期まで、自分よりかなり年下の人間の生態と思考を教えてもらおうか、ぐらいの構えで、しかし無責任にならずに、子どもとテキトーに関わっていくしかない。新型コロナウイルス危機学校一斉休校ショックは、それを日本の親に考えさせるいい契機になりうる。

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藤森 かよこ

ふじもり かよこ

1953年愛知県名古屋市生まれ。南山大学大学院文学研究科英米文学専攻博士課 程満期退学。福山市立大学名誉教授で元桃山学院大学教授。元祖リバータリアン(超個人主義的自由主義)である、アメリカの国民的作家であり思想家のアイン・ランド研究の第一人者。アイン・ランドの大ベストセラー『水源』、『利己主義という気概』を翻訳刊行した。物事や現象の本質、または人間性の本質を鋭く突き、「孤独な人間がそれでも生きていくこと」への愛にあふれた直言が人気を呼んでいる。  

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